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『 トンネルハンター 〜寂静・サイレントの風景〜 』

■ 沈黙〜静・サイレントsilent
 特に病んではいないが、私は公私に10年近く、実質的沈黙にいる。
 説明責任に交渉術など、雄弁さが処世の要ともされるこんにちだが、沈黙と思考停止は同義ではない。「黙る(だまる)」ことが意思の非表示とも、不在ともならない。

 このこととまったく同様に、静・サイレントは、必ずしも無音状態のみを表すわけではない。通行のないトンネルは静かだが、しかしただ静かならば、それは単に静寂(せいじゃく)であるに過ぎない。

 サイレントは一般に「静かな」と訳されるが、「静」とは、“青”がひしめき充満し“争う”様子を示すのではないだろうか。
 またサイレントは一般に無音と解されるが、今回制作する青のトンネルは、音が無い=“ただ聞こえない”状態とは対極をなす。
 この青い空洞は、“サイレントという音”が激しく争い共鳴している。

■ 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の景観
 涅槃寂静とは、「煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということ」とある。

 過去これまで示したように、トンネルは不均一が接する境界である。
 したがってこれら青のトンネルは、無数の“サイレントという音”が接し、ひしめき充満しせめぎ合う境界であり、寂静・サイレントの風景とはこのような姿なのではないだろうか。
 そうであれば、悟りを得、静やかな安らぎに包まれる涅槃寂静の景観は、この寂静の風景を抜けた先に啓く景色ではないだろうか。

 社会は説明欲求で溢れ、世界はとかく騒々しい。
 青のトンネルにフォーカスし、社会の喧騒に潜在/顕在する静・サイレントの本質を抽出・視覚化した。さらに寂静・サイレントの風景と、そして「涅槃寂静の景観」のスケッチを試みた。
 対岸で開催される2020+1世界スポーツ祭典を向こうに、そういう展示になれば、現代美術の制作者として少しの喜びである。

トンネルハンター 桐原陽一


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